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流派は違えど
ブログ2018.03.21
開業してこの春で6年を迎えようとしておりますが、1日も欠かしたことがないことの一つに待合室へ生花を飾ることです。季節の花を花器を替えて自分なりにいろいろ考えて生けているつもりですが、いつまで経っても様になりません。
1輪でしたら花と葉の数や位置を揃えると、何とか格好がつくのは少し覚えたのですが、3輪を超えると難しいのです。なぜ難しいのかをいろいろ考えてみると、”私には生け花の心得がないから”、ということに行き着きました。どういう風に生けると見栄がいいのか、この概念が私には備わっていないのですね。
『これ、私やりなおしていい?』見かねたんでしょうね、施術後にKさんがニッコリ笑いながら、待合室のお花を指差しながら私にこの言葉をかけられました。
是非お願いします!
即答したのは言うまでもありません。このKさん、2~3週に1回お体のメンテナンスに来てくださっていまして生け花の池坊の師範の免許をお持ちです。私は花を生けるのを間近で拝見するのは初めてで、胸の高鳴りを抑えながら新聞と鋏を取りに行きました。
Kさんの邪魔をするようでしたが、聞いてみました。花を生ける時ってどう考えるんですか?
するとKさん、『生け花は、真(しん)・副(そえ)・体(たい)と言って・・・・・・』花を生ける時の配置の基本形というのがあるようです。
翌日、Mさんという小原流の師範の方が治療にいらっしゃいました。このMさん、待合室に入られるなり『あれ、センセイ(某)、お花教えてましたっけ?』とおっしゃいます。いやいや、これ昨日お客様が見かねてやり直してくださったんです。あぁ道理で・・・という表情をされました。
きっとこのMさんも、私の刺しただけの花をいつも横目で・・・・と、眺めていらっしゃったんだと思うと、可笑しいのともう少しどうにかならないのかというもどかしさが交錯する自分がおります。
このMさん、私に『習ってましたっけ?』ではなく『教えてましたっけ?』とおっしゃいました。リップサービスもあると思いますが、そのとき感じたのは”流派は違えど師範が観ると師範レベルの仕上がりは解るのだ”ということです。
『たかが花されど花・・』あまり悩むと今日の仕事に差し支えますので(笑)。